スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

セルフ・コンパッションの3つの要素  

心理学者クリスティン・ネフ教授のホームページから

原文はこちら


1. 自分への優しさ 対 自己批判

セルフ・コンパッションは、悩んだり、失敗したり、自分が無能だと感じたりした時に、苦しみを無視したり、自己批判によって自分を叱責するのではなく、自分自身に対して思いやりと理解をもつことである。

セルフ・コンパッションのある人は、不完全さや失敗、人生の困難さを経験することは避けがたいことだと認めている。そのため、このような人は、人生が理想どおりにいかない時に怒るのではなく、つらい経験に直面した時にも自分に優しくできる傾向が高い。

人生は思い通りにいかないものである。この現実を否定したり、それと戦ったりした場合、苦しみはストレスや欲求不満、自己批判という形で悪化していく。この現実を共感と優しさをもって受け入れた時、心の平安が得られるようになる。

2. 共通の人間性 対 孤立

望んだ通りにならないという欲求不満には、あたかも「私」が、悩んだり、過ちを犯したりする唯一の人間であるかのような不合理で、圧倒的な孤立感を伴うことが多い。

しかし、全ての人間が悩んでいるのである。「人間」であるということは、死ぬ運命にあり、弱く、そして不完全であるということだ。

それゆえ、セルフ・コンパッションには、苦悩や自分の不完全さは、人間なら誰しも共通して経験するものの1つである、つまり、「私」にだけ起こったものではなく、全ての人間が経験するものだ、という認識が必要である。

3. マインドフルネス 対 過剰同一視

セルフ・コンパッションには、自分のネガティブな感情に対してバランスのとれた見方で対処し、感情を抑圧せず、また過大視もしないことが必要である。

このバランスのとれた姿勢は、苦悩している他者の経験と自分の個人的な経験を関連づける、つまり、自分が置かれている状況をより大きな見方でとらえるプロセスから生まれる。

また、この姿勢は、自分のネガティブな考えや感情を素直に、しっかりと見つめ直したいという気持ちから生まれる。その結果、マインドフルな気づきが保たれる。マインドフルネスは、偏った判断を避け、自分の思考や感情を抑圧、否定せずに、あるがままに観察する受容的な精神状態である。

この状態では、自分の苦しみは無視されず、同時に思いやりの気持ちが生じる。また、マインドフルネスには、ネガティブな反応に巻き込まれて圧倒されないように、思考や感情に「過剰に同一視」しないことも必要である。


スポンサーサイト

Posted on 2016/09/27 Tue. 03:35 [edit]

category: セルフ・コンパッション(自分への思いやり)

tag: セルフ・コンパッション 
tb: 0   cm: 0

セルフ・コンパッションではないもの  

心理学者クリスティン・ネフ教授のホームページから

原文はこちら


セルフ・コンパッションは自己憐憫ではない

人は、自己憐憫に陥っている時、自分の問題にとらわれて、他者も似たような問題を抱えていることを忘れている。自己憐憫に陥っている人は、他の人々とのつながりを無視し、その代わりに、苦しんでいるのは世界で自分1人だと感じている。自己憐憫は、自己中心的で他者から切り離されているという感覚を強め、自分の苦しみを悪化させる傾向がある。

一方、セルフ・コンパッションは、孤立感やつながりが失われた感覚を抱くことなしに、自己と他者が同じような経験をしていることを認識させる。

また、自己憐憫に陥っている個人は、自分の感情にとらわれ、そのことばかり考えていることが多い。このような人は、自分の置かれている状況から距離をおいて考えることができず、バランスのとれた、客観的な見方ができなくなっている。

対照的に、自分に対して思いやりをもった見方をすることによって、「人間というものは」という幅広い文脈で自分の経験をとらえ、物事をより大きな見方でとらえるための「心の余裕」が生まれる。(「そう、私は今とても辛い目にあっている。でも、もっと苦しんでいる人はたくさんいる。たぶん、そんなにクヨクヨするほどのことじゃない」)。

セルフ・コンパッションは我がままではない

セルフ・コンパッションは、我がままとは全く別のものである。

自分に対して思いやりをもつのは気が進まないと言う人が多い。なぜなら、そういう人は、何をやってもいいということではないか、と思っているからである。

「私は、今日、ストレスがたまっているので、自分に優しくしよう。1日中TVを見て、1リットルのアイスクリームを食べるんだ」。これは我がままで、セルフ・コンパッションではない。

自分を思いやるということは、長い目で見て自分を幸福で健康な状態にしたいと願うことである。

多くの場合、楽しみを得るだけのものは、幸福を損なう可能性がある(例えば、薬物の使用、過食、カウチポテト族[寝転がってテレビやビデオばかり見て時間を過ごすこと])。

一方、健康と幸福感を持続させるには、多くの場合、ある程度の不満や不快感を伴う(例えば、禁煙、ダイエット、運動)。

人間は、自分が変わりたいと思っていることに気づいた時、自分自身にかなり厳しい態度をとることが多い。なぜなら、自分が恥ずかしいと感じて行動を起こすからである。これは自責的なアプローチである。しかし、このアプローチは、自分にとって辛い事実に直面できない場合には、逆効果になることが多い。なぜなら、直面した場合には、自己嫌悪に陥る恐れがあるからである。したがって、自分を責めるのを避けようとする無意識の働きによって、自分の弱さに気づかないままになってしまう可能性がある。

対照的に、自分に対する思いやりがある場合には、思いやりに元々含まれている配慮によって、成長したい、変化しようという動機づけが高められる。自分を責めるリスクなしに、自分を客観的にしっかりと見つめ直すためには、自分が脅かされないという安心感が必要である。

セルフ・コンパッションは、自尊心ではない。

セルフ・コンパッションは、自尊心と同じようなものに見えるかもしれないが、この2つは様々な点で異なる。

自尊心は、自分に価値があるという感覚、自分の価値の認知、またはどのくらい自分自身が好きかということである。低い自尊心が問題となり、うつ病や意欲の低下につながることが多いことには疑いの余地がないが、自尊心を高めようとすることにも問題がある可能性がある。

現代の西洋文化の中では、自尊心は多くの場合、どのくらい自分が他者と異なっているか、どのくらい自分が際立っているか、または特別かという考え方に基づいている。自分が平均的なことは良いことではなく、自分を肯定するためには、自分が平均以上であると感じる必要がある。そのため、自尊心を高めようとすることで、自己愛に陥ったり、自分の利益にとらわれた行動をとってしまったり、自分を肯定的に評価するために他者をこき下ろしてしまったりする。

また人間は、自分を否定したと感じさせるようなことを言うか、行った可能性のある他者に対して怒り、攻撃的になる傾向がある。

高い自尊心を求めることは、自分の欠点を無視し、歪め、隠す傾向を助長する可能性がある。その結果、自分自身を正確に、しっかり見つめ直すことができなくなる。人間の自尊心は、多くの場合、最近の成功または失敗に左右される。つまり、自尊心というものは、絶えず変化する状況に従って揺れ動くということである。

自尊心とは対照的に、セルフ・コンパッションは、自己評価には基づかない。人間が自分に対して思いやりの気持ちをもつのは、ある特徴(かわいい、賢い、才能があるなど)を持っているからではなく、全ての人間が思いやりと理解に値する存在だからである。

つまり、セルフ・コンパッションをもてば、自分自身を肯定的に評価するために他者より優れていると思う必要がなくなる。また、セルフ・コンパッションによって、自分の欠点を思いやりをもって認め、隠す必要がなくなるため、自分というものが明確になる。さらに、セルフ・コンパッションは、外部の状況に左右されず、いつでも利用できる。特に失敗した時に効果的である。

研究では、セルフ・コンパッションは、自尊心よりも、感情的なレジリエンス(回復力)の高さ、正確な自己概念、人間関係での配慮ある行動の多さ、ナルシズムと怒りの反応の低さと関連することが示されている。

Posted on 2016/09/23 Fri. 01:53 [edit]

category: セルフ・コンパッション(自分への思いやり)

tag: セルフ・コンパッション 
tb: 0   cm: 0

セルフ・コンパッションとは  



セルフ・コンパッションの定義

心理学者クリスティン・ネフ教授のホームページから

原文はこちら

自分に対して思いやりを持つことは、他者に対して思いやりを持つことと実際には何の違いもない。思いやりをもつという体験がどのようなものか以下に解説する。まず、他者を思いやるためには、その他者が苦しんでいることに気がつく必要がある。路上のホームレスを無視した場合には、そのホームレスがどれほど辛い目にあっているのかと思いやることはできない。次に、思いやりをもつためには、自分の心が他者の苦痛に反応するように、他者の苦しみによって感情が動かされる必要がある(compassionという言葉は、文字通り「共に苦しむ」ことを意味する)。感情が動かされたら、どうにかして苦しむ人を助けたいという温かさ、配慮、願望が生まれてくる。また、思いやりをもつということは、他者が失敗したり、過ちを犯したりした時、彼らを厳しく批判するのではなく、理解と優しさを示すことである。さらに、他者に対して思いやり(単なる哀れみではなく)をもつということは、苦しみ、失敗、不完全さは人間なら誰でも共通して経験するものであると悟ったということである(「明日は我が身かもしれない」)。

セルフ・コンパッションは、辛い時や失敗した時、自己嫌悪に陥った時に、自分自身に対しても同じように思いやりをもつことである。「感情を抑えて動じない」という心構えで自分の苦しみを無視するのではなく、「本当に辛い。今どうやったら自分をなぐさめ、ケアできるだろうか?」と立ち止まって自分に問いかけるのである。

セルフ・コンパッションとは、自分の欠点に直面した時、自分の不完全さや様々な至らなさを情け容赦なく批判、非難するのではなく、自分に対して優しさと理解をもつことである―結局のところ、いったい誰が自分のことを完璧な人間などと言ったのだろう?

人間は、自分が健康で幸福になれるように変わることができる。しかし、それは、自分を大切にしようとするからであって、自分には価値がないとか、自分を受け入れられないという理由からではない。自分に思いやりをもつということは、自分という人間を受け入れ、尊重するということである。おそらく、これが最も重要なことだろう。物事はいつも思い通りにいくものではない。欲求不満をもち、何かを失い、過ちを犯し、限界にぶつかり、理想にはとどかない。これが人間というものであり、人間は皆こういう現実を共有している。このような現実と戦ってばかりいるのではなく、もっと心を開けば、自分に対しても、人生で出会う全ての他者に対しても、もっと思いやりがもてるようになるだろう。


Posted on 2016/09/21 Wed. 21:40 [edit]

category: セルフ・コンパッション(自分への思いやり)

tag: セルフ・コンパッション 
tb: 0   cm: 0

自尊心よりも自分を思いやる気持ちをもった方が効果的  

-自尊心を高めても気が楽になることはない。
 それよりも、親友と付き合うように自分自身と付き合ってみよう。

原題:Why Self-Compassion Works Better Than Self-Esteem

アトランティック誌(2016年5月6日)から

オルガ・カザン(Olga Khazan) 

原文はこちら

*翻訳の一部は、クーリエ・ジャポン誌の訳文を参考にした。

*本記事では、self-compassion(セルフ・コンパッション)を「自分に対する思いやり」と訳した。


1986年、カルフォルニア州の議員ジョン・バスコンセロスは、カリフォルニア市民の自尊心を高めるための特別対策委員会を立ち上げた。10代の妊娠や薬物乱用などの「重大な社会の病のワクチン」になりえると考えたからだ。だが3年後、この取り組みは打ち切られ、大した成果はなかったとみなされた。

テキサス大学の心理学教授クリスティン・ネフに言わせると、これは当然のことである。ポピュラー心理学(心理学のように見える大衆向けの俗説。占いの心理テストなど)では、自尊心が万能薬として幅を利かせているが、ネフによれば、自尊心の向上を追い求めることは見当違いで、ほとんど意味がない。

自信をもつことは悪いことではない。問題は、自尊心を高めようとするやり方である。たいていの場合、人は他人をおとしめたり、自分の成功を周りの他人と比較することで自尊心を高めようとする。そのような方法は長続きせず、ナルシズム(自己愛)に陥るか、困難に直面するとうつ状態になる可能性がある、とネフは主張する。

ネフは、もっと適切な方法を提案している。それは自分に対して思いやりをもつことだ。言い換えれば、失敗した時でも、親友に付き合うように自分自身と付き合うことである。

最近、筆者(カザン)はネフに取材して、どうして自尊心が役に立たないのか、自尊心の代わりに自分に対する思いやりを高めるにはどうしたらよいかについてインタビューした。インタビューの内容は以下のとおりである。

カザン:
自尊心を高めるべきだという話はふだんよく耳にしますが、その背景には何があるのでしょう?

ネフ:
そうですね。自尊心を高めるべきだという考えは、深く浸透しているようです。人々の自尊心と自己愛のレベルが非常に高い米国社会では特にそうでしょう。自尊心を高めようという世の中の動きのせいで、多くの人々が心の健康の鍵は自尊心であると考えるようになったと思います。心理学者のジーン・トウェンギとキース・キャンベルは、このような自尊心の重視によって、現実にナルシストな世代が生まれたことを明らかにしています。自尊心の重視は文化の中に広まっていますが、特に親と教育者の間に認められるのではないかと私は考えています。

この問題について最も詳しい研究者の1人はオハイオ州立大学の心理学者ジェニー・クロッカーです。彼女は、自尊心を高めようと努めることは大きな代償を払うことになるため、やめるべきだと語っています。問題は、自尊心が高いことではなく、自尊心を高めようとすることです。高い自尊心の追求はたいてい、自分は特別で平均以上の人間だ、他人より優れているという感覚に基づいています。自尊心の問題について考える際に最も適切なアプローチは、自尊心があるかないかということではなく、自尊心を得るために、どういう行動をしているかということです。実際に問題なのはそこです。

カザン:
では、自尊心を高めることの何が悪いのでしょうか?

ネフ:
自尊心を高めることに真剣になり過ぎると、人はナルシストになります。ナルシストは、人間関係の問題を抱えがちで、他人を寄せ付けず、そのためナルシズムは明らかに不適応な結果を招いてしまうことが分かっています。

また、高い自尊心をもつためには、自分は特別で平均以上だと感じる必要があります。「あなたの能力は平均的です」と言われたら、傷つき、侮辱されたも同然だと思うでしょう。

失敗した時には、自尊心を失いますが、失敗した時こそ自尊心が最も必要な時なのです。

問題なのは、自分を他者と常に比較することです。人間は自分の方が上だと思い上がってしまいます。これは自己高揚バイアスと呼ばれるものです。人間は、文化的に重要とされる特性のほぼすべてで自分が優れていると考える傾向があります。いじめは、ほとんどの場合、自尊心を高めようとすること-自分が特別であり、他者よりも優れていると思いたがることが原因で起こることが多くの研究で示されています。

変わり者でオタクっぽい子供をいじめて、自尊心を高めようとするのです。それから、偏見のような現象について考えてみましょう。偏見に多少なりとも影響を及ぼしている要因の1つは、自分が属する宗教や民族の集団が他の集団よりも優れているという感情でしょう。これは、社会的比較(自己と他者を比較し、自己を正確に評価したり、意見の妥当性を確認したりすること)の1つで、これによって実は自尊心を高めているのです。これは問題です。現実には、常に自分より優れている人間がいるのです。

私はワークショップで講演する時、どんな人でもいつも平均を越えることは論理的に不可能だと話しています。つまり、人間は、論理的に不可能な形で自分をとらえているのです。いつかは現実を突き付けられるでしょう。自分より優れた人間が現れます。その時、それを受け入れるでしょうか? それとも、そのせいで不安定になってしまうでしょうか?

たいていの場合、自尊心は成功するかどうかにかなり左右されます。自尊心を左右する体験は3つあります。1つめは仲間からの承認です。これは、学校なら他の子供たち、職場なら同僚たちから自分がどう思われているかということです。これは実際は情報源としては適切ではありません。なぜなら、彼らはあなたのことを十分にわかっているわけではないですし、あなたも、彼らがあなたについてどう思っているかはよく分かっていないからです。

2つめは容姿です。これは、特に女性にとってはひどく傷つく原因にもなりますし、女性の自尊心にとって最も重要な要素です。男子は女子ほど自尊心の低さによって悩みませんが、その理由の1つは、男子は成長する中で自分のことをかなり魅力的であると思っているからです。男子は、自分の魅力をかなり高く評価しています。美しさの基準は、男子よりも女子の方がはるかに厳しいのです。女子の場合、小学3年生くらいから自分の魅力に対する自己評価が急低下します。女子は、その頃から「自分は太っている」、「自分はかわいくない」と考えるようになり、自分を厳しい美の基準と比較することで自尊心が損なわれていきます。男子の自尊心はかなり安定しています。

3つめは成功です。成功にまつわる現実的な問題は、成功した場合にしか自尊心を利用できないということです。失敗すると、人間は自尊心を失いますが、失敗した時こそまさに最も自尊心が必要な時なのです。自尊心が上がったり下がったりして不安定であることは、自尊心そのもののレベルよりも悪影響があると主張する研究者もいます。

カザン:
では、自分に対する思いやりとはどういうことでしょうか? どうしてその方が良いのでしょうか?

ネフ:
自分に対する思いやりは、自分が気にかけている人たち、例えば親友や恋人、家族などと付き合うのと同じように、親切、配慮、慈しみなどをもって自分自身と付き合うということです。

1つめの要素は自分に対して親切であることです。これはある意味では最もわかりきったことです。しかし、これには共通の人間性(common humanity)に対する理解が必要です。言い換えると、全ての人間は不完全であり、全ての人間の人生は不完全であることを理解するということです。時に、人間は失敗すると、あたかも何か悪いこと、つまり起こってはならないことが起こったかのように反応します。「私は失敗してはならなかった。この問題が私の人生で起こらないようにすべきだった」と思うのです。これは「こういうことは起こってはならないこと」で、世の中の自分以外の人間は皆、完全に幸福で問題のない人生を送っていると思っているかのようです。こういう考え方は、実際のところ、さらに多くの苦しみを引き起こしてしまいます。なぜなら、自分が孤立し、他の人々から切り離されていると感じてしまうからです。

自分に対して思いやりをもった場合、失敗しても、「かわいそうな自分」ではなく「誰でも失敗するもの」と思えるようになります。みんな苦労して生きています。それが人間だということです。こういう考え方は実際に、失敗や困難とどのように関わるかということを根本的に変えるものです。私たちが「ああ、これが普通だよ。それが人間というものなんだよ」と語る時、経験から成長する道が開かれるでしょう。失敗が異常で、起こってはならないものと感じると、人間は自分を責め始めます。

また、自分に対する思いやりはマインドフルネスを伴います。自分に対する思いやりをもつためには、自分の苦しみに目を向けて、それを認めようとしなければいけません。たいていの場合、人間はそういうことはしたくないと思っています。そういうことを避けて考えずに、問題の解決にまっすぐ進みたいと思っています。

実際のところ、自分に対する思いやりは、自分に価値があるという感覚をもたらしますが、自尊心のようにナルシズムとは関連しないと私は考えています。また、自尊心のように社会的比較とも関連しませんし、自分に対する思いやりがあるため、成功しても失敗しても、それに左右されません。自分に対する思いやりから生じる自分に価値があるという感覚は、自分に対する肯定的な評価から生じる自分に価値があるという感覚よりも長期にわたってずっと安定しています。

カザン:
自分に対して思いやりをもっている場合、大きな失敗をした時には自分自身に対してどういう言葉をかけるのでしょうか?

ネフ:
それについては私の著書で詳しく書きました。私には息子がいるのですが、自閉症で、現在14歳です。この著書で、私は、長い年月をかけて自分に対して思いやりをもつことを身につけることができて良かった、と書きました。息子が自閉症と診断されてすぐ、「どんなセラピー、どんな治療が必要?」と調べるだけではなく、自分に対する思いやりが必要なことが分かりました。そして、自閉症が自分にとって難しいこと、感情的な痛みを伴うことを認めなければならないということを知っていました。実際、自分自身に優しくすること、思いやりや理解をもつこと、それから自分がどんな感情をもつべきだと考えているかどうかとは関係なく、自分にどんな感情が起こっているのかを自分で感じとるということについて考える必要がありました。

以前、息子と公園に行った時、そこにいた母親も子供もみな笑いながら、会話をしていましたが、私の息子は、すみっこにいて誰とも関わろうとしませんでした。その時、私は「どうして私がこんな目に、どうして」と自分を哀れむ道に入り込みそうになりました。その時のことは今でも覚えています。でも、共通の人間性について思い出し、非常に強烈な体験をしました。私は少し冷静になり、こう思いました。おそらく、ここにいる母親たちは自閉症に対応することはないだろう。でも、母親はみんな様々な形で子供と一緒にチャレンジしているんだ、と。それは、メンタルヘルスの問題だったり、身体の問題だったり、あるいは強い葛藤に満ちた人間関係だったり。「かわいそうな私」から「要は、これが母親であるということだ。私たちは、自分の子供と一緒にチャレンジしていて、いずれにしても子供を愛しているのだ」という考えに切り替えたら、自分自身の感情的な問題との関わり方が実際に根本的に変わりました。この考え方の変化によって、かなり対処しやすくなりました。

カザン:
私は、恋愛関係や身体イメージにも自分に対する思いやりが影響を与えていることに注目しています。自分に対する思いやりが影響を及ぼしている領域には何がありますか?

ネフ:
コーピング(対処)とレジリエンス(回復力)の領域です。多くの人は、自分に対して思いやりをもつことは弱さであると考えています。でも、そうではないのです。例えば、退役軍人を対象として、自分に対する思いやりのレベルについて調べた研究がいくつかあります―自分に対する思いやりは内なる敵でしょうか、それとも内なる味方でしょうか? 内なる敵ではなく、内なる味方とした退役軍人はコーピングが非常に良好で、PTSDの症状を発症する傾向がかなり低かったのです。自分に対する思いやりによって、離婚、苦痛、老いに対処しやすくなります。

また、多くの人は全く信じないのですが、自分に対する思いやりは意欲を高めます。自分に対する思いやりのレベルが高い人は、失敗しても、失敗を恐れません。ある研究では、実験のテストで失敗した場合に、研究参加者の自分に対する思いやりを促進しました。その後、2回目のテストの勉強をする機会があったのですが、自分に対する思いやりを促進された参加者は、促進されなかった参加者よりも勉強時間が長かったのです。つまり、失敗しても大丈夫な環境をつくったからです。自分に対して思いやりのある人は、再びチャレンジする傾向が高いのです。また、そのような人は自信をもてます。なぜなら、こういう人は常に自分をこき下ろすようなことはしないからです。

身体的な健康に関する研究がいくつか行われていて、自分に対する思いやりが、高い免疫機能と関連することが示されています。また、糖尿病患者の研究では、自分に対する思いやりをもつことで血糖値が安定することが示されていますし、テロメア長を調べた研究では、自分に対する思いやりがあるとテロメアが長いことが示されています。自分に対して思いやりのある人ほど健康です。このような人は自分の健康に気をつかい、よく運動し、健康的な食事をとり、病院に行く傾向も高いのです。自分に対する思いやりは、自分に配慮することで、自分が損なわれることを望まないことです。

カザン:
あなたの研究では、男性は女性より自分に対する思いやりが高いという結果が示されています。これはどうしてでしょうか?

ネフ:
この性差は非常に小さいものですが、一貫した結果が得られています。女性は、男性より自分に対する思いやりが低い傾向があります。現在、私たちは性役割の方向性について研究を行っています。両性具有の女性―男女両性の特徴をもった女性―の自分に対する思いやりのレベルは男性とちょうど同じです。女性性が高い女性の場合、つまり自分がそういう女性だと考えている場合、実際に「自分は常に他の人の要求に合わせなければならない」という自己犠牲的な規範に合わせている場合には、伝統的な女性のステレオタイプに合わせることから生じる多くの問題があると思われます。このような女性は、苦しむことが多いようです。これに関するまだ発表していない新たなデータがあるのですが、興味深く、納得がいくものです。女性は、自分を気づかってはならない、常に周りの人に注意を向けなさいと教えられますから。

カザン:
しかし、あまりにも過度に自分を許してしまうのは危険ではないですか?

ネフ:
それについては、驚くような研究知見があります。自分に対する思いやりのレベルが高い人ほど、他者を傷つけることに対して個人的な責任感を抱きやすく、謝罪する傾向が高いのです。間違っても大丈夫な場合、人はこう言えるようになります。「とんでもないことをしてしまいました・・・」と。自分に対する思いやりがあると、自分の失敗を認めやすくなり、自分自身がはっきり見えるようになるのです。こういうことを言うのは、自分がひどい人間だと言っているのではなく、「失礼しました」と言っているだけなのですから。実際に、自分に対して思いやりをもつと、責任をとり、謝罪することができるようになります。

私がこういう懸念をすべて脇に置いていると思われるかもしれませんが、現在のところ研究の結果はかなり明白です。自分に対する思いやりに関する危惧の全ては、かなり誤解に基づいたものです。研究では逆の結果が示されています。自分に対する思いやりは意欲や責任感を高めます。自分に対する思いやりは、我がままではありません。利己的なものでもありません。自分に対して思いやりをもつことで、人間関係もよくなるでしょう。非常に多くの研究がこのような考えを支持しており、これは注目すべきことだと思います。

カザン:
それは素晴らしいですね。では、もともと自分に対して思いやりをもてない場合は、どのようにして身につければいいのでしょうか?

ネフ:
最も簡単な方法の1つは、「こういう状況の時、気にかけている親しい友人に対して自分はどういう言葉をかけるだろうか?」と考えることです。人間のほとんどは、自分自身よりも他者を思いやる経験をすることの方が多いものです。

もう1つ別の方法としては、実際のところ、信じられないかもしれませんが、身体的な接触が挙げられます。思いやりが生まれる身体的な仕組みは、主に3つの刺激で引き起こされます。この3つの刺激とは、身体的な暖かさ、優しい接触、心地よい声です。人間はジェスチャーで驚くほどのことができます。胸に手を置くなど、自分の支えとなるようなことがあると思います。そうすることで身体が落ち着き、思いやりが生まれる身体の仕組みが活性化され、思いやりのある方法で自分に語りかけられるようになります。私は、いつも人にこう話しています。そう、これはスキンシップですが、過小評価しないこと。人間は結局のところ哺乳類なのですから、と。

カザン:
私は親友にかけるような言葉をなかなか思いつきません。友人の友人が失敗した時に、友人がかける言葉が適切だとは思わないのですが。友人たちは「ああ、実際にはそんなに悪くないよ」とか「失敗したのは当然だよ」などと言いがちだと思います。その友人の失敗を認めるのではなく、どちらかといえば軽く扱おうとします。

ネフ:
それは良い指摘ですね。ある意味、親の方がもっと良い例かもしれません。親は子供の幸福のために一生懸命になりますから。そして親は、子供が自分自身を傷つけるようなことをしないで成長できるように気を配ります。

人間は、友人への接し方について考える場合の方が、どういう言葉をかけたらいいか思い浮かびやすいのです。なぜなら、そういう経験の方が多いからです。しかし、改めて指摘しますが、マインドフルネスがなければいけません。「ああ、あの失敗は大したことじゃない」と言うために思いやりという言葉を用いるとか、また失敗が重大だと認めていないような時は注意が必要です。自分に思いやりの気持ちをもつ場合は、苦痛を取り去るために、また実際に問題があっても問題がないと偽るために、ずるい方法や表面的な方法で考えていないかどうか注意しなければいけません。問題が目の前にあること、間違いを犯したことを十分に認めなければなりません。それを認めたら、もっと大きな思いやりのある見方で失敗について考えてみます。そうすることで失敗をさらに受け入れることができるようになり、きっと、多少なりとも癒されて、前を向いて進んでいけるようになるでしょう。


Posted on 2016/09/20 Tue. 16:12 [edit]

category: セルフ・コンパッション(自分への思いやり)

tag: セルフ・コンパッション 
tb: 0   cm: 2

プロフィール

最新記事

カテゴリ

全記事表示リンク

タグ

検索フォーム

月別アーカイブ

最新コメント

最新トラックバック

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード


▲Page top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。